LOGIN「お嬢様……大丈夫ですか……?」
その時、1人の若者の声が聞こえて顔を上げた。見るとそこには私と左程年齢が変わらないフットマンが立っている。シルバーの髪の毛が特徴的な若者だった。その顔はフットマンにしておくには勿体ない程の美しい顔だちをしている。
彼はいきなり私の前にひざまずいてきた。
「お怪我……されたのですか?」
「え、ええ。貴方は……?」
今まで一度も見たことのないフットマンだった。
「はい、最近この城にフットマンとして雇われたユリアンと申します」
「そう……ユリアンと言うの? 随分みっともないところを見られてしまったわね」
ゴシゴシと涙を手の甲で拭った。
「いえ。そんなことはありません。バルバラ様とヘルマ様は余りに酷すぎます」
その言葉にドキリとした。
「ユリアン……ひょっとして……見ていたの?」
するとユリアンは顔を赤らめる。
「も、申し訳ございません。盗み見するつもりはありませんでした。フィーネ様のお部屋の前を通りかかった時に騒ぎが聞こえたものですから……」
「そう……恥ずかしい姿を見せてしまったようね」
自嘲気味にフッと笑うと、突然ユリアンが床に頭をすりつけて謝ってきた。
「申し訳ございません!」
「え? 何を謝るの? 顔を上げて」
「いいえ、出来ません。私はフィーネ様がバルバラ様とヘルマ様に大切にしていた思い出の品を奪われるのを黙って見ていることしか出来ませんでした! お止めすることが出来ず……本当に申し訳ございません!」
「いいのよ、止められないのは当然よ。だって貴方はこの城に雇われている使用人なのだから。仕方ないことよ」
「ですが……」
「その言葉だけで十分よ。それよりもあまり私に関わらない方がいいわ。私に親切にするとあの人たちに目を付けられて早々にクビにされてしまうかもしれないから」
しかし、ユリアンは首を振った。
「いいえ、そんなことは出来ません。第一フィーネ様はか弱い女性ではありませんか。それで……申し訳ございません。恥ずかしいかも知れませんが……右足を見せていただけますか? お怪我をされたのですよね?」
「え、ええ……。それじゃ一つお願いしてもいいかしら? 救急箱を医務室から持ってきてくれる? 自分で手当てするから」
「いいえ、その必要はございません。フィーネ様。少しだけ……失礼いたしますね」
ユリアンは私の右足にそっと触れてきた。
「え? な、何?」
すると、触れているその手から突然金色の光が放たれた。
「キャアッ!」
あまりの眩しさに目を閉じると、ユリアンが話しかけてくる。
「フィーネ様。もう大丈夫ですよ」
「え……?」
見ると、腫れていた右足首が嘘の様に元通りになっている。
まさか、これは……。
「神聖……魔法?」
「ええ。そうです。微力ですが、小さな怪我くらいは治せます」
ユリアンは恥ずかしそうに頬を赤く染める。
「そんな……貴方はただのフットマンでしょう? 魔法を使えるのは一握りの選ばれた人達だけだと聞いているわ。しかも神聖魔法なんて……もう使える人は誰もいないと歴史の授業で習ったのに」
「ごく稀に私の様に神聖魔法を使える人間たちがいるのですよ。でもこのことは絶対誰にも秘密ですよ。お願いします」
「ええ。分ったわ」
私は頷いた。そう、彼のこの力を知られればどんな悪事に利用されるか分った物では無い。
「ありがとう、ユリアン。貴方は私の恩人よ」
笑みを浮かべてお礼を述べた。
「いえ……とんでもありません」
ユリアンはますます顔を赤らめて目を伏せた。
これが……私とユリアンの初めての出会いだった――
「あら? ジークハルト様……私を魔女と呼ぶのはもうやめたのですか?」血に飢えた狼の背中を撫でながらジークハルトを見た。「そ、そうだよ。君は魔女なんかじゃない。僕の愛する婚約者のフィーネだよ」青白い顔に無理に笑みを浮かべるジークハルト。彼の手のひらを返したかのような態度に、途端に叔父達から非難の声が上がる。「ジークハルト! フィーネに媚びを売って自分だけ助かるつもりなの!?」「酷いです! 私を愛していると何度も言って下さったではありませんか!」「貴様が一番フィーネを嫌悪していただろうが!」「うるさい! 黙れ! フィーネの両親の命を奪い、この城と財産を奪ったのはお前たちアドラー家だろう!? 俺は無関係だ!」そしてそこから狼と骸骨の集団を前に、4人の激しい口論が始まった。本当に人間と言う者は、なんと醜いエゴの塊なのだろう。私は半ば呆れて口論を続ける叔父達とジークハルトを見つめていたが……ついにジークハルトが叔父達を一喝した。「うるさい! お前たちのいざこざに俺を巻き込むな!」そしてさらに強張った笑みを張りつかせながら私を見る。「フィーネ。やっぱヘルマよりフィーネの方がずっと魅力的だ。君を愛している……。今までの僕はどうかしていたんだよ。だから……僕だけはどうか見逃してくれないだろうか……?」もうこれ以上ジークハルトの戯言を聞いていたくは無かった。「ジークハルト様」「な、何だい?」その狼狽ぶりから未だに私に対する嫌悪感を持っているのは明らかだった。「……本当に私をまだ愛していらっしゃるのですか?」「勿論だよ!」即答するジークハルト。「嘘よ! そう言って1人だけ助かろうとしているのよ!」ヘルマが叫ぶ。「うるさい! 黙れ!」パーン!ついにジークハルトはヘルマに平手打ちした。「ジ、ジークハルト様……?」ヘルマは頬を押さえながらジークハルトを見る。「お前らいい加減にしろ! 俺を巻き込むな!」ジークハルトは激怒すると、再び私を見つめて笑みを浮かべる。本当に……私は人を見る目が無かった。こんな男の何所が良かったのだろう?「ジークハルト様……先程貴方は私を愛していると仰いましたね? 本当ですか?」「本当に決まっているじゃないか……」震えながら返事をしている様子が手に取る様に分った。「そうですか……。ですが……私はもう貴方を
壁のあちこちには血しぶきが飛び、辺り一面おびただしい血の海と化した廊下を私は歩き続けた。そしてダイニングルームが近付いてくると騒ぎ声が聞こえてきた。フフフ……やはり狼たちは私の言いつけをちゃんと守ってくれていたのだ。恐らくこの城で生き残っているのは彼等だけだろう。「く、来るな! あっちへ行け! 魔物どもめ!」「いやあああ! こ、怖い!」「な、何故だ……何故、お、狼と骸骨が……!」「神様……お助け下さい!」 それを耳にした私は思わず口元に笑みが浮かぶのを感じた。恐らく彼らは多くの使用人達が食い殺されていく姿をまざまざと見せつけられてきただろう。恐怖は最高潮に達しているはずだ。数多の死を見てきた彼らは次は自分達の番であるのは分り切っているに違いない。 だが……使用人達の死の方がまだこれから殺される彼等に比べるとましだろう。同じ殺戮方法でも私は彼らにこう命じたのだ。『なるべく、苦しまぬよう、使用人達は一撃で殺してから食べなさい』と。だけど彼等はそうはいかない。何しろ私の全てを奪い、命まで脅かした挙句……魔女に変えたのは彼らなのだから。彼等には究極の死の痛みと苦しみ、そして恐怖を味わいながら死んで貰おう――「こんばんは、皆さん」ダイニングルームに入ってくると声をかけた。叔父家族とジークハルトは壁際に追いつめられ、8匹の狼と4対の骸骨に取り囲まれていた。彼らはすっかり恐怖におびえ、特にヘルマと叔母は髪は乱れ、顔は泣きはらして目も当てられないほどに悲惨な有様だった。「フィ、フィーネッ! き、貴様……何故ここに……っ!」叔父が髪を振り乱しながら私を見て叫んだ。「何故ここに? そんなの決まっているではありませんか? この城は私と、叔父様に殺された父と母の城ですよ? 奪われたものを取り返しに来ただけです。当然ではありませんか?」「ま、まさか……フィーネッ! あんたなの!? この城に……狼と骸骨を入れたのは……!」涙交じりにヘルマが叫ぶ。「そうよ。彼らは私の大切な仲間だもの」「な、何よ……! 酷い……!こ、こんな勝手が許されるの!? こんな魔物と亡者を城に入れて……み、見たのよ! 使用人達が……く、食い殺されていくのを……!」叔母が絶叫する。ガルウゥウウウ~ッ!!すると狼たちが一斉にうなる。「あまり大きな声を上げて血に飢えた彼らを興奮さ
森を抜けると、アドラー城の姿が目に飛び込んできた。背後から大きな満月に照らされた城はいつもとは違い、恐ろし気な雰囲気をまとわりつかせている。「フフフ……まさに血の宴にぴったりの夜になりそうね……」風の様に走る狼の背中に乗りながら私はうっとりと笑みを浮かべた。 城壁に囲まれた鉄の城門は固く閉ざされていたが、こんなのは私の手にかかれば造作も無い。少し念じただけで門はきしんだ音を立てながらゆっくり開いてく。その門を狼たちは足音を立てることも無く走り抜ける。 城の敷地内に入ると、まだ城のあちこちは明るい光が漏れていた。時刻はまだ夜の8時を少し過ぎたところで、当然城の中は活気づいている。本来であれば皆が寝静まった頃に襲撃した方が都合が良いのかもしれないが、それでは面白みに欠けてしまう。やはり彼らが恐怖で怯える様を見るには眠っている所をいきなり襲うよりもこちらのほうがより一層恐怖を与えることが出来るだろう。 城の入口は固く閉ざされており、狼たちはそこで足を止めた。私はここで狼の背中から降りると皆に命じた。「いい? みんな。この城の連中を殲滅させるまでは絶対に誰1人として、逃がしては駄目よ? そして叔父達とジークハルトは私が到着するまで手を出さないようにね」私の言葉に、狼の群れも骸骨たちも一斉に頷く。そして私は扉に命じた。「開け」ギギギギィ~扉が不気味な音を立ててゆっくりと開くと私は彼らに命じた。「さぁ、行きなさい。そして思う存分飢えを満たしなさい」すると狼たちは一斉に遠吠えをした。ウオオオオオオオオ―――ンッ!!そして骸骨たちを背中に乗せたまま、次々と城の中へと飛び込んで行く。そんな姿を私は満足げに見つめた。「フフ……いい風ね……」風が吹き、月にかかっていた雲が取り払われた頃、城のあちこちでは恐ろしい悲鳴が響き始めた。その悲鳴は痛みと恐怖が入り混じった悲鳴だ。さらに風に乗って血の匂いが漂い始めてきた。「そろそろ頃合いね……」私は笑みを浮かべると、城の中へと足を踏み入れた――**** 城の内部はまさに阿鼻叫喚地獄だった。城内はあちこちに血しぶきが飛び、床は血の海に染まっていた。そして既に食べつくされてしまったのだろう。肉片のこびりついた骸骨たちがあちこちに転がっている。「狼たちは余程お腹がすいていたのね……骨しか残していないなん
私の着ている黒いドレスにはジークハルトによって刺された時に出血した血がこびりついている。その匂いに引き寄せられてか、狼達のうめき声がこちらに向かって近付いて来るのをひしひしと感じていた。やがてうっそうと茂った木々の合間から無数の光る眼が私を取り囲んでいることに気付いた。「来たわね……」私は笑みを浮かべた。そう、彼等こそ私の僕達。血に飢えた狼。きっと今宵は素晴らしい働きをしてくれるだろう。グルルル……恐らく30匹以上はいると思われる狼集団、彼らは私が逃げられないようにぐるりと私の周りを囲み、ゆっくりと距離を詰めて来る。彼らは皆獰猛で、耳まで避けた口からは鋭い牙が見えている。私は彼らを見渡すと、僕になる様に命じた。 <あなた達……私の命令に従いなさい>すると――彼等は一斉に足を止めると、まるでひれ伏すかのように地面に座り込んだ。そして群れの中から一際群を抜いた大きな狼が私の元へと近付いて来る。恐らく彼がリーダーなのだろう。彼は私の前で足を止めると尻尾を振りだした。青い毛並みがとても美しい狼だった。「皆……相当飢えているようね? この森を抜けたところに城があるから思う存分飢えを満たしなさい」するとその言葉に従うかのように狼たちは天を仰ぎ、声を揃えて遠吠えした。その姿を満足気に私は見つめ、更に彼らに命じた。「あなたたち……後ろに下がっていなさい」すると狼達は一斉に後ろに下がる。「フフフ……いい子達ね……」地面に手を当てると、地中から出てくるように命じた。するとボコボコと土が動き出し……やがて何十体もの骸骨たちが土の中から這い出て、私の前に並んだ。私は骸骨の正体を知っている。彼らはグレン伯爵の手によって殺害された領民たちである。伯爵は領民たちを殺害後、この地面に埋めて辺り一帯を魔法で森に変えたのだ。「あなた達はあの城の宝を全てかき集めなさい。そして逃げようとしたり、隠れている者達を全員捉えて狼達に差し出すのよ」私の言葉に一斉に頷く骸骨達。私は美しい満月を見上げた。「フフフ……ついに殺戮の宴が始まるわ。今宵は彼らにとって、特別な夜になること間違いないわ。皆……行くわよ」すると、狼のリーダーが私の前でしゃがんだ。「ありがとう。いい子ね」私は頭を撫でると、彼の背にまたがる。「さぁ……行きましょう。アドラー城へ!」ウォオオオオ
私は1人、森の中を歩いていた。私の記憶が正しければ湖のほとりには小さな水浴び小屋がある。その小屋は私がまだ幼い時、父が建ててくれた小屋だった。まだ幸せだった幼少時代、夏になると水浴び小屋で楽しい時間を過ごした。私にとっての思い出の場所―― どの位歩き続けただろうか……。「あったわ……」思った通り、その水浴び小屋はまだ残されていた。板を組んで作られた水浴び小屋は幼少時代は大きく見えたが、今はとても小さく見えた。「鍵は開いているかしら……」真鍮で出来たドアノブを回してみると、やはり少しも回らない。鍵がかかっているのだ。けれど、もはや絶大な魔力を手にした私にかかれば、鍵など無用の長物だった。ガチャ……少し念じただけでいとも簡単に解錠され、扉が勝手に開く。私は小屋の中に足を踏み入れた。「……中はこんな作りになっていたのね……」円形の水浴び小屋には2枚の細長い窓ガラスがはめられている。部屋の中にはカウチソファが置かれ、天井からはブランコがぶら下がっている。丸テーブルに椅子が3脚。テーブルの上にはアルコールランプが1つ置いてあった。壁には本棚が設置され、中には数冊の本がある。そして10年近く使われていなかった小屋の内部は綿埃と、あちこちに蜘蛛の巣が張られていた。「夜までまだ時間があるわね……掃除でもしましょう」窓を開けると魔法を使い、一瞬で小屋の中を綺麗にした。闇の力を手に入れた今の私は完全に魔力を自由に操れるようになっていた。どう願えば、どの様な魔法を発動出来るのか……魔女の本能で悟っていた。この力を使えばあの城に巣食う者たちを一掃することが出来るだろう。「そうよ……私と、お父様に。お母様の大切な城に巣食う邪悪な魔物達を一刻も早く始末しなくては……」彼らは私を「魔女」と呼ぶが、私からすれば彼らの方が余程【魔】に近い存在のように感じる。よってたかって人の事を「魔女」と呼び、命を狙ってきたのだから。でも、それも今夜まで。彼らは今宵、地獄を見ることになるのだ。そして私はカウチソファに横たわり、トランクケースからブランケットを取り出すと身体に掛けて満月が現れるその時まで休むことにした――**** どの位眠っていただろうか……。気付けば部屋の中が青白い光で満たされている。「……」カウチソファから身を起こし、窓に近付いた。「まぁ
「本当だな? 本当にこの城から出ていくと言うのだな?」叔父は念押ししてくる。「ええ。本当です」そこへジークハルトが言った。「お待ち下さい、伯爵。相手は狡猾な魔女です。信用に値しない。今すぐここを追い出すべきです」……まさかジークハルトのような人間に『狡猾な魔女』と言われるとは思わなかった。むしろ彼らのほうが余程狡猾な人間ではないだろうか?「うむ……確かにそうだな」そして叔父は私を睨みつけた。「ならぬ、フィーネ。今すぐこの城を出るのだ。一刻も早くこの城を出て、二度とこの地に戻ってくるな!」「……分かりました。そこまで仰るのであれば出ていきます。もう荷造りは済んでおりますので」私は自分の部屋を振り返った。視線の先にはトランクケースが置いてある。「ああ、そうだ。この城に居座る汚らわしい魔女め……さっさと去れ! そして二度と我らの前に姿を現すな!」ジークハルトは吐き捨てるように叫んだ。「……」無言でジークハルトを見つめる。いくら私を『魔女』と蔑むにせよ、仮にも元婚約者を相手にどうしてここまで酷い態度を取れるのだろうか?すると私の視線が気に入らなかったのか、ジークハルトが殺気を込めた目で睨みつけてきた。「何だ? 魔女。汚らわしい目で俺を見るんじゃない!」そしていきなり剣の柄で私のお腹を殴りつけてきた。ドスッ!「ウッ……! ゴ……ゴホッ!」衝撃で私は激しく咳き込んだ……フリをした。本来ならこんな攻撃、もう止めることも容易いし、無意識の内に衝撃を和らげることも造作なかった。ただ彼らを油断させる為だけにあえて大袈裟な演技をしたのだ。「フン……魔女でも痛みや苦しみは感じるのだな」ジークハルトは冷たい目で私を見下ろす。「さぁ、フィーネ。荷物を持って今すぐ何処へなりとも行くがいい!」叔父は私を指差す。「……はい。分かりました……」私はフラフラした足取りで部屋に入るとトランクケースを持ち、部屋から出てきた。そんな一連の動きを叔父もジークハルトも無言で見ている。「さよなら、皆さん。今迄お世話になりました」一礼すると私は彼らに背を向け、長い廊下を歩き始めた。……城の出口目指して――**** ギィィィ〜…… 城の扉を開けて、外へと出てきた。私を見送る者は誰一人としていなかった。城を出ると一度だけ、17年間育った城を振り返った。す